初心の趣

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稚児舞がある菅生石部神社の狛犬は物や人を大切にする心を育ませるかも

石川県加賀市大聖寺敷地に「菅生石部神社」(すごういそべじんじゃ)という創建が用明天皇元年(585年)とされる歴史ある神社がある。

585年といったら1400年以上前だ。

それだけ古くから伝わる神社なら、そこにある狛犬もやはり古いだろうと思って参拝しに行ってきた。

その日は敷地天神講という夏祭りが行われていたので、その様子の一部と併せて紹介したい。

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神事が三日続く珍しい神社

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正面の入り口に当たる神門

この日は天神講という夏祭りが行われていた。

当社は歴史のある神社なので祭事や神事も伝統があり、毎年2月10日に行われている御願神事(通称:竹割りまつり)は県無形文化財に指定されている。

7月に行われていたこの敷地天神講は古の神事が3日間続くという珍しい行事だった。

1日目には夏越の祓、2日目には疫神塚神事、3日目には湯の花神事という神事が続くようで、境内の舞殿では3日連続で氏子の少年たちによる「蝶の舞」も奉納される。

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こちらがその舞殿

「扇の舞」「鈴の舞」「蝶の舞」という三つの舞があり、総称して「蝶の舞」と言うそうだ。

加賀地方での稚児舞はこの菅生石部神社でしか見られない貴重なものらしい。

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扇の舞

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鈴の舞

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そして蝶の舞

扇の舞や鈴の舞は低~中学年と思われる男子たちが、蝶の舞は高学年と思われる男子たちが舞っていた。学年によって舞の段階があるのかもしれない。

いいものが見れた。無理をしてこの舞だけでも見に行ってよかったと思う。

 

 

数対の狛犬がいた

このような歴史があり珍しい神事が行われている菅生石部神社だが、境内には末社もあるので併せて数対の狛犬がいた。

しかもそのどれもが古かった。

まずは菅生石部神社の拝殿から

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奥に拝殿がある

神門をくぐって真っすぐ行った先にあるのがこの神社の拝殿だ。

途中には1日目の神事である夏越の祓で使われる茅の輪がある。

写真で言うと右手に舞殿があり、ステージショーや舞を見学するためのパイプ椅子が並べられて地元の方々が座っていた。

狛犬は、この写真ではその姿は見えていないが、奥の拝殿の前にちゃんといる。右側の一体は馬の像に隠れ、左側の一体は台座だけが見えている。

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こちらがその台座だけ見えていた左側の狛犬

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こちらが馬の像に隠れていた右側の狛犬

いわゆる岡崎現行型とは違うデザインをしている。

岡崎型ではないというだけで、古いものなのだろうなという期待がすぐに持てた。

実際、表面の劣化や苔の生し(むし)具合を見ても年季を感じる。

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台座には「明治四捨年」の文字

これを見る限り明治時代の狛犬だ。

逆さ狛犬以外の明治生まれはなかなか珍しい。

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左側の顔のアップ

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右側の顔のアップ

見比べてみると左側が口の開いた阿形であることがわかる。

見比べるまで、左側が阿形であると確信を持てなかった。

それくらい開き具合が狭い。

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横から見るとまるで口を閉じているかのような左側

こうしてみるとまるで吽形なのだ。

この狭い開き方で舌がちょこんと出ている点がまたカワイイ。デザインも細かくて自分には好みだ。

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右側の後頭部に見られる苔の様子

まるで髪飾りのような苔だ。だいぶ乾燥してドライフラワーのようになっているとビンテージ感がある。

その飾りをつける狛犬の髪は、側頭部でカール、後頭部ではストレートに降りている。かなり剛毛そうだ。

顔の大きさ、目や鼻の大きさ、立った尻尾なども併せてみるといわゆる畿内型の狛犬(むかしの関西の狛犬のタイプ。比較されるのは東の「江戸型」)に近いのではないだろうか。

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苔に溶け込んでいるかのような左側の足

こちらは幾分日陰にあるからか苔がまだみずみずしい。その苔に侵食されているような前足の図である。自分は自然と同化しているような佇まいが好きなので、こういった状態に軽い興奮を覚える。

天空の城ラピュタ』の苔にまみれたロボット兵のようで、苔をまとっているだけでそこで長く過ごしてきたんだなと思いを馳せれるからだ。

明治からというのは長い。

 

拝殿の左手には稲荷神社と狛狐も

拝殿の左手、そのさらに奥には稲荷社もあったのでそちらも見に行ってきた。

もちろん狛狐もいた。しかも1対だけではなかった。

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赤い鳥居をくぐって階段を登っていくと稲荷社がある

狛犬は狛狐は階段を登りきった先に1対、そして社にももう1対いた。

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まずは階段を登った先の1対

狛犬と比べると狛狐は幾分スマートに見えるものだが、その中でもさらに細身の1対だった。

特に前足が細い。

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前足の様子

この足を見ていて気づいたのだが、足の太さって、太い細いで「あやしさ」の性格が異なるんじゃないだろうか。

狛犬の太い足には力強さがあり怪物的で男性的な「怪しさ」があるのに対し、狛狐の足の細さには人を惑わす女性的な「妖しさ」があるように思うのだ。

だとすれば、狛犬はより足が太いほうが、狛狐はより細いほうがそれぞれの「あやしさ」が増すのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

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首も細め

足だけではなく首の細さでも「妖しさ」は増すかもしれない。

ただ、細ければその分、損傷もしやすいだろう。こちらの玉を咥えた狛狐にも首が破損してそれを修復したあとがある。

細すぎると折れやすい…、その「諸刃の魅力」もまた良い。

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個人的に尻尾の細さも好き

よくみると尻尾にも破損のあとが見える。

破損もまた経年変化だ。長くそこにいる証だろう。

こちらでいつ頃作られたものだろうかと台座を見ていると「昭和十七年」と彫られていた。

昭和生まれながら終戦前に誕生した狛狐だった。

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彫られた文字

自分の経験上、製造年月を示す文字が彫られた狛狐ってなかなか見かけいない。

自分にとっては貴重だ。狛狐の古さの基準ができた。

 

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社の前へ

こちらが敷地稲荷社だ。木陰の中にある神社だった。

見てわかるように柱の後ろに狛狐がいる。

1対と書いたが、正確には1対プラスもう1体である。

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右に一体と

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左に1体、プラスさらにもう1体

随分とおぞましい表情で撮れてしまったこれら、傷もいくつも見られるし、社のシンボルというより社を守護する番狐のような狛狐だった。

下手なことをすると食われてしまいそうな迫力がある。

そんな彼らの破損のあとを見ているだけでも年季を感じるが、さらにその背後に、傷ついた1体が相方もなくポツンといる。

相方がいないのは修復不能なほど壊れたか、それとも盗まれたかしたのだろうか。

いずれにせよ、役目を譲って隠居をしているような佇まいだ。

代替わりか… ふとあの稚児舞も毎年下の代に引き継がれているんだろうなと連想してしまった。

 

もう一つの社

境内にはもう一つ末社があった。

最初の拝殿からすると右手奥にある。

こちらにも狛犬がいたのだが、1対、2対ではなくわんさかいた。

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このでっかい杉の向こうに鳥居がある

というか杉でかすぎ。

実はこれだけではなく、この境内には何本も大きな木がある。

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その鳥居の奥に社があった

なんという社なのか書かれていなかったのでわからなかった。

むかし地図によると末社の「白山社」か「菅原社」のどちらかだ。

ご覧のようにすでに狛犬が見えている。

一見して岡崎現行型のようで何かが違う。

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その阿形と

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その吽形だ

ずんぐりむっくりとして顔もブサ可愛い。

阿形にいたっては口を開けている分、笑っているように見える。

岡崎現行型なら口を開けている分、吠えているように見えるので趣として逆だ。どこか平和な顔をしている。

ギョロ目とまではいかないものの目が大きいのもそう見える要因かもしれない。

ギョロ目は畿内狛犬の特徴とも言われている。この狛犬の目の大きさはその流れがあるのかもしれない。

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ほぼギョロ目です

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ほぼギョロ目です

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スマイリーです

どうだろうか、この変な顔。

見れば見るほど可愛く見えてくるのは自分だけだろうか。

むかしの狛犬にはこういう一見ひょうきんな顔をしたものが多くて面白い。

ではどれくらい昔のものかと台座を見てみると、明治と彫られてあった。

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明治四十四年とある

最初の拝殿の前の狛犬と同じくらいのものだ。

あの狛犬といい、こちらの狛犬といい、表面の劣化や苔はあっても壊れたところがほとんどない。

明治生まれでこれだけ保存が良いというのは、それだけ大事にされてきているということだろうか。

 

そんなことを考えながら社の前まで進むと、そこにもまた狛犬がいた。

それも何年前のものかわからないくらい劣化した狛犬だった。

もしかしたら、上の明治生まれより古いものかもしれない。

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こちらがその狛犬

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そのペアがこちら

撫でられすぎたのだろうか、頭部や顔面が削がれている。

破損のため、どっちが吽形でどっちが阿形なのかもわかりづらい。

胴体に白カビをまとっていれば、生えた苔と足が同化してその境界線もあやふやになっている。

かなりの劣化、かなりの風化だ。

たとえ破損していても、こうやって残してくれているところが嬉しい。

残してくれていると言えば、この劣化した狛犬の後方にさらに別の見るからに古い狛犬がいた。

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それも…

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計6体も

中にはペアになっていないものもいるので3対ではなく6体としたい。

その6体がまたどれも小さい。

この並びだけを見ているとまるでマトリョーシカのようだ。(中に収まったりといった機能的な面は違うが)

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その顔をチェック

かろうじて狛犬に見える。

その隣は顔が完全に吹っ飛んでいる。

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こちらにいたっては見慣れない姿勢だ

こちらは本当に狛犬なのだろうか?

そんな疑問も湧くくらい変わった姿勢をしている。

もしかしたら元々はおすわりタイプだったものの、前足がなくなってこのような姿勢になっているのかもしれない。

色も苔のせいで全身ほぼ緑色。いったいいつに作られたものなのか、まったく想像がつかない。

ただ、古いものだということはわかる。

 

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姿はバラバラでもきれいに並ぶ小さな狛犬たち

シンメトリー(左右対称)を形成するかのように背丈順に並んでいる姿は、どれだけ破損していても堂々たるものだ。

なんだろうね、宮司さんや神職さんたち、優しいね。ガタガタになっていても大切にしてきちんと置いてある、つまり役目を務めさせているところが。

これらを見ていると、物を大切にする精神、人を大切にする精神を改めて考えさせられる。

さらには、ハンディキャップを持っていても差別しない心もだ。

 

 

まとめ

1400年も続く菅生石部神社の狛犬たちはやはり古いものばかりだった。

そして古いばかりではなく、たとえ壊れても大事に扱われ、活躍している狛犬たちであった。

大事に扱い活かす精神、ならびにハンディキャップも差別しない優しさがあるからこそ、地元の人たちに愛され、1400年もこの地に鎮座し、古の神事も続けていけるのではないだろうか。

神事に参加させる稚児舞もそうであるように、この神社は子供たちの心の発育に寄与している神社であると、狛犬を撮影して思えた。

ただカワイイからと撮ってきた狛犬たちであるが、そんな狛犬でも子供たちの道徳的な面を育める可能性があると発見できたことは自分としても嬉しい。

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最後にこんな一枚を

これ、何かといえば牛の像だ。

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現代で言うとこういうの(こちらは境内にあったもの)

狛犬や狛狐だけではなく、古くなった牛の像もこの神社には置かれていたのだ。

あまりに古くて顔ものっぺらぼうのようになっている。

台座の側面もつるつるになっていたので、いつに作られたものかもわからなかった。

わからないけど、それだけ古い。

ここまで古くなった牛の像を見たのは初めてだ。

牛の像って劣化するとこうなるんだという一つの資料だと思う。

こういうものまで残していることにまた感嘆してしまった。

すごいことだ…。

すごいことだけに、実は重くて片付けるの面倒だから置きっぱなしにしている、なんて神職さんたちの裏話がないことを、当神社御祭神である菅生石部神に願う。