初心の趣

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珠洲市の「奥能登国際芸術祭2017」をのんびりまわる第一日目その4(飯田エリア後編)

珠洲市の奥能登国際芸術祭へ初日である9月3日に行ってきたその紹介その4だ。

今回は前回紹介した飯田エリアの残りのアート作品にスポットを当てたい。 

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飯田エリア(後半)

飯田エリアの後半は作品場号で言うと23番、22番、27番だ。

番号が不規則に並んでいるのは、今回も自分がまわった順がこのとおりだったからだ。

 

23番 鴻池朋子「物語るテーブルランナー・珠洲編」

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23番だ

こちらの展示場所も旧店舗内であった。

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その建物

住居と一体となった個人経営のお店だったようだ。

昔はこういうお店が町の中に沢山あった。

中に入ってみると手芸による作品が並べられていた。

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思い出のワンシーンを切り取ったような絵が描かれた手芸が並ぶ

タイトルにある「物語るテーブルランナー」と言うのは、鴻池朋子氏がその町に住む人たちから個人的な思い出を聞き取って、その情景を絵に起こし、その絵をランチョンマットほどの手芸として縫い上げるというものだ。

面白いのは、縫い上げるのは鴻池朋子氏ではなく思い出を話してくれた町の人本人たちというところだろう。そのひと針ひと針がより思い入れの強いものになるわけだ。

そういったものだからかどうなのか、お店の中に入ると皆さん静かに鑑賞していた。

静かすぎて、自分はてっきり写真も撮ってはいけないものだと思ってしまった。

それでも受付の方に聞いてみると撮影OKであった。「全部OK」と言われたくらい、撮影FREEだったようだ。

数が多いので、個人的に気になったものや気に入った作品を以下に並べてみたいと思う。

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稲架(はさ)に稲を干している様子

自分も祖父母が農業をやっていたので、子供の頃にこれを経験したことがある。懐かしい。

昼間から夕方にかけて日の出ているうちに稲を刈り、刈り取った稲をこの稲架(はさ)と呼ばれる木で組んだ干し台に干していくので、だいたいこの絵のように夜までかかる。でもこの日のうちにやっておかないと翌日は翌日で別の田んぼを刈ったり、仕事にいかなければならないので頑張らないといけない。

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こういうのもあった

長く一緒にいた飼い犬を述懐した作品だ。

この一品は毛を使ってより立体的に見せている。この立体感は他にはあまりなかったので面白い。

そして、ほんとうに個人的な思い出だ。

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自分が一番いいなと思った作品

蚊帳のある風景(思い出)だ。犬の毛の立体感同様に布以外のものを使っているところが面白い。これ、もしかしたら本当に蚊帳の網を使っているのかもしれない。

いろんなものを使ってOKならインスピレーションが広がって、自分も作ってみたくなるのだ。

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解説もあった

これもまた個人的な思い出が書かれてある。

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個人的な思い出の極めつけではないかと思った作品

じいちゃんが川を流れていたゴミバケツを拾ってきたという話だ。

家のゴミバケツに蓋がなかったから丁度良いと思って拾ってきたらピッタリだったようだ。

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解説もある

どうだろうか、この超個人的な思い出。あまりに個人的な思い出過ぎて自分は思わず笑ってしまった。

こんな個人的な思い出でも許されるのだ、自分も作ってみたくなるではないか。

それでいて、最後はちょっぴりハートウォーミングだ。ステキだ。

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下書きも展示されていた

作品の下書きがアルバムのようにまとめられていた。説明どおりなら、この下書きは鴻池朋子氏が描いたのだろう。

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ちなみに展示場となっている建物は旧額縁屋さん

洋も和も、額縁を売っていたお店だそうだ。一時、画材を売っていた事もあったのだとか。いまはもう店じまいをして、建物にも普段誰も住んでいないらしい。

そういった話を受付をしていた人と、地元の人たちがして懐かしがっていた。

こういった芸術祭がなければ、振り返る機会もなく忘れられていた思い出だろう。

刺繍だけではなく、この建物もそのものも個人的な思い出の詰まった「物語るテーブルランナー」の一つ(番外編)に思えてきた。

また、たしかにどれも個人的な思い出であるかもしれないが、それらがいくつもあると、それだけでこの町にどのような人が住んでいて、どのような風習があったのかといったことが少しずつ見えてくる。個人的な思い出でも、集まれば「町の思い出」に見えてくるのだ。

 

22番 金沢美術工芸大学アートプロジェクトチーム[スズプロ]「静かな海流をめぐって」

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続いては22番だ

金沢美術工芸大学の教員と学生によるアートだ。一つの建物に3タイプの作品があるとガイドブックには記されていた。

金沢美術工芸大学は家から近いので、よく側を車で通る。「袖すり合うも他生の縁」とまでは言わないけれど、近いと言うだけで応援したくなる。

なお、金沢美術工芸大学(地元では「美大」と呼んでいる)は、ジブリでも活躍して最近ではアニメ映画『メアリと魔女の花』も公開した米林宏昌監督や、『サマーウォーズ』『バケモノの子』などで知られる細田守監督の出身大学だったりする。ついでに言うとマリオシリーズゼルダシリーズの生みの親で任天堂代表取締役宮本茂さんの出身大学でもある。

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展示場は明治時代に建てられた古民家

もともと、網元をやっていた家だそうだ。

海も近くて潮風にさらされていても100年以上残っているわけだ。

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入るとすぐ青いのれん

繰り返しこののれんをくぐることになる。足元には浜の砂が敷かれていた。

青いのれんにも作品名があって「家に潜る」とあった。

このウェルカム作品をくぐり抜けてようやく受付である。

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受付でもらった作品の解説

もらったといっても持ち帰れるものではなく、帰り際に返さなければならない。

作品は3つ。

一つは写真にある「こめのにわ」、もう二つは「奥能登曼荼羅」と「いえの木」だ。

順に見ていきたい。

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まずは「こめのにわ」

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その名のとおり、中庭で米が作られていた

玄関の暖簾とともに珠洲の人たちからワークショップをとおして米作りを学んだそうだ。

最良の米をこの庭で作るプロジェクトなのだとか。

自分としては庭でも稲ができるんだということに驚きであり、発見であった。

この試み、面白い。

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だいぶ稲穂が垂れていた

中庭は二箇所くらいあって、それぞれで稲が植えられていた。どれも決して広くない庭なのだが、米って広さ関係なく作れるのだ。

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二つ目は「奥能登曼荼羅

蔵だろうか、天井の高い家屋の中にそれはあった。

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能登曼荼羅

珠洲市の住民から聞き取った思い出話から作成したのだとか。

23番の「物語るテーブルランナー・珠洲編」と似たような試みだ。

美大の学生さんが珠洲市の人たちと交流している姿が思い浮かぶ

曼荼羅とあるけど、自分は最初、極楽図の類に見えた。

でもそれは仏教的な観点で「曼荼羅」を捉えるからで、アートとしての「曼荼羅」は「色彩鮮やかな絵図」だそうなので、言葉としては正解のようだ。

かなり高さのある作品なので、自分にはどう撮っていいのかわからずこんな写真になってしまった。どう撮ればよかったんだ、これ。

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床の様子

床にもちょっとした造形&彩色だ。

ちなみにこの床板、だいぶ傷んでいるのか部屋に踏み込むとギシギシと鳴って、普通の家の床板ではまず体験できないくらい柔らかかった。ベキッと床が抜けるんじゃないかと思ったくらいだ。

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3つ目は「いえの木」

こちらも天井の高い物置のようなところにあった。

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これが「いえの木」だ(部屋が暗くてピントが合っていない)

天井から漁業用の網を吊るして、その中にこの家にあった家財道具などを入れて「木」に見立てているのだ。

「木」といっても天井から宙吊り状態になっていて床には接地していないので、どちらかと言うと巨大な木の「実」にも思えた。

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網が根っこのように天井に伸びている

逆さに見て、天井を大地とするならこれは「木」ですな。

こういう見方もできるので面白い。

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本当にこの古民家にあったものばかり

電灯やら酒瓶やらジャーやら浮きやら、いろんなものが詰められていた。

網元をやっていた家だけに、いろんな事業に手を出していたようで、いろんなものがこの古民家にあったという。

それらをアートとして有効活用しているわけだ。中には店の帳簿まであった。

この網元の歴史を凝縮しているような作品だ。

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解説のカードにはメンバーの紹介も

[スズプロ]という名のプロジェクトチームだそうだ。

面白いのは、23番の受付の人が言っていた話によると、スズプロが手掛けたこの22番のアート、9月3日の9時29分まで制作作業を続けていたそうだ。

初日の公開時間ギリギリまで頑張って作っていたようなのだ。

おそらくスケジュール調整が上手く行かなかったのだろう。学生らしいエピソードでなんだか微笑ましい。自分も学生時代に制作系の部活に入っていたので、懐かしくなった。

自分が訪れた時、その学生たちもいてテレビ局の取材を受けていた。ギリギリでも作り終えた彼ら彼女たちの表情を見ると楽しそうで、少々羨ましくなった。みんなで作るってやっぱり樂しいものだ。見終えて去るのがちょっともったいなく思えてきたくらい彼ら彼女らが眩しかった。

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帰りもこの暖簾をくぐる

くぐる時、のれんが頭に絡んでくると後ろ髪を引かれているような心地がしたよ。

 

27番 河口龍夫「小さい忘れもの美術館」

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今回の記事の最後は27番だ

飯田エリアの紹介としても最後になる。

ほかが密集していただけに、飯田エリア内でもここだけ少し離れたところにあった。

ラポルトすずの駐車場から歩かずに直接車で訪れていた人も少なくなかった。

展示場が旧飯田駅なので車を停めれるのだ。

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飯田駅

この記事シリーズで何度か説明したが、のと鉄道の穴水から蛸島の全線が2005年に廃線になっている。

使われなくなった飯田駅を今回展示場としているのだ。

前に紹介した旧鵜飼駅の32番や旧上戸駅の30番と試みとしては同じだ。

タイトルは「小さい忘れもの美術館」とある。

この駅そのものもそのうち忘れ去られる存在であるなら、この忘れ去られる駅に忘れていった「忘れ物」もあるらしく、その忘れ物も展示物にしているようだった。

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しかも真っ黄色になって

旧駅舎が「イエロールーム」になっていて、このように落とし物と思われる小物などが全部真っ黄色になって展示されていた。

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駅舎の一室は壁まで真っ黄色

イエロールームというだけある。壁から床まで全部真っ黄色だった。

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ストーブまで真っ黄色

ストーブは駅舎で使っていたものだと思われるが、それ以外の小物などは電車利用者のリアルな忘れ物を使っているのだろうか?そんな疑問が湧いた。

リアルな忘れ物なら勝手にアート作品にして良いのだろうかと法律的なことまで頭によぎってしまったので後から調べてみると、刑法上、どうやら問題ないようだ。

2007年の法改正によれば駅や電車会社のような特例施設占有者は、落とし物を公開後、3ヶ月経っても持ち主が現れなければ処分してしまっていいようなのだ。

まあ、飯田駅があったのは2005年までで、もうすでに10年以上も経っているのだから『占有離脱物横領罪』や『窃盗罪』も時効だろう。

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そんなものでホームへと続く階段には傘も

イエロールーム外なのでこちらは黄色ではなかったが、これらもおそらく忘れ物だろう。

ところでなんで黄色だったのかは、不明だ。

黄色は光の象徴と言われているので、忘れさられるものにもう一度光を当てたかったのかもしれない。

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ホームには貨物列車の車両が置かれていた

この中もインスタレーションになっていた。

入ってすぐにこんな案内がある。

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言葉を書くことができるとある

ただの言葉ではなく「忘れたくない言葉」や「未来に残したい言葉」だ。

側にはチョークも置かれていた。

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四方に黒板があり、みなさんいろいろと書いていた

せっかくなので自分も何か書きたくなったのだが、急に「忘れたくない言葉」や「未来に残したい言葉」なんて言われてもすぐに思いつくものでもない。

自分はこの「のと鉄道」を利用していたわけでもなく、ここにまつわる思い出もないので、気の利いたことも書けない。何を書こうか正直悩んだ。

仕方がないので…

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こう書いた

この奥能登国際芸術祭にはまた来るつもりなので、その場を繕う言葉でもなければ嘘にもならないだろう。

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ついでに日にちも入れておこう

一度書いてしまうと、いろいろと追記したくなってしまうのだ。悩んだくせに、なんだかんだとそれぐらい楽しんでいた。

自分、こういう参加型ってかなり好みだ。

 

感想

今回で飯田エリアはすべて完了だ。

飯田町は以前に足を運んだわくわく広場の足湯足の大きい狛犬がいる春日神社がある町なので、歩いていて「久しぶりだな」との感慨があって、長らくウロウロしていてもあんまり疲れなかった。

以前まではわくわく広場から春日神社までの距離しか歩いたことがなかったのに、今回で一気に散策範囲が広がって、おかげで飯田町の雰囲気も味わうことが出来た。

歩くっていいかもしれない。作品が展示されている建物や施設だけではなく町全体の雰囲気を知れた気がするのだ。ただ、徒歩だけで奥能登国際芸術祭をすべて回ることはまず無理なので、そのあたりは飯田エリアの作品の配置が上手いのだなと思う。

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飯田町で見つけた禁止の張り紙

こんな余計なところに注目してしまうくらい町を散策できた。

次回は直(ただ)エリアの作品を紹介したいと思う。