石川県内で適用されていた、まん延防止等重点措置が10月1日より解除された。
珠洲で作品を限定して9月より開催されていた「奥能登国際芸術祭2020+」も、これによって全作品鑑賞可能となったので、さっそく再び3回目の鑑賞旅をしてきた。
今回は第三日目その1として作品番号41の「軌間」の写真をまとめたい。
まん防が解除されてようやくフルスペックでスタート
やっと石川県内のまん延防止等重点措置が解除された。
当初は9月13日には解除される予定だったのに、結局10月1日まで伸びてしまった。
まん防中の9月3日に「奥能登国際芸術祭2020+」は開催され、主に屋外にある作品に絞って公開作品を限定していたものだから、作品を順番に鑑賞し、パスポートのスタンプを埋めていく達成感が正直薄かった。
はやく解除してほしいと切に願い、ずっとウズウズとしていただけに、まん防解除の決定には歓喜したものである。
それぐらい、今回の「2020+」もコンプリートしたいのである。
そんなもので、解除された翌日の10月2日(土)には早速珠洲へと向かっていた(有給申請を出してまで行ってきた)。
一つずつじっくりと作品を鑑賞してきたので、この「第三日目」以降は作品を一つずつ紹介していきたいと思う。
40番 サイモン・スターリング「軌間」
第三日目の最初に向かったのは旧南黒丸駅に設置さているサイモン・スターリング氏による「軌間」だ。
自分は当ブログで廃駅の旅という企画を個人的に行っていて、旧南黒丸駅も2ヶ月くらい前に足を運んでいる。
(廃駅の旅で南黒丸駅に向かったときの記事は→こちら)
そのときには何の装飾もないただの廃駅であったので、そこがどう変わっているのか楽しみであった。
遠くから見てもわかるくらい何か置かれていた
廃駅の旅では、この駅は木に囲まれて遠くからだと見つけづらい旨を記したけど、すんごく目立つ何かがプラットホームの前に置かれていた。
見つけづらい奥ゆかしい感じがこの駅の魅力でもあったと思っていたので、随分と性格が変わって見えたのだけど、ただ、その黒い衝立のようなものが逆にホームの待合室を隠しているようでもあって、奥ゆかしさなるものが逆に強化されたようにも見えた。
41番だ
黒い衝立に近づいていくと、この緑の案内板も置かれていた。
タイトル「軌間」の意味がいまいちよくわからない。
線路のレールの間隔のことを「軌間」というみたいだけど…
フィルムですな、これ
衝立だと思っていたこちら、裏側に回り込んでみると、映像のフィルムが巨大化したようなものだった。
奥の方にも置かれている
合わせて6枚はあったろうか。
それぞれフィルムが巨大化したものであるが、映っているものはそれぞれで違う。
線路の上でワイヤーらしきものを引っ張っている姿もあり
こっちでもワイヤーを引いている
何の映像なんだと思う。何か昔の白黒映画だろうかとも考えたくらいだ。
なんてことを考えていたら映像が流れていた
ホームの待合室を覗き込んだらモニターが設置されていて、やはり線路の上でワイヤーを引いている男二人の映像が流れていた。
衝立のような巨大なフィルムは、この映像のフィルムを印刷したガラス彫刻なんだそうだ。
まん防中、この作品は屋外にある巨大フィルムのガラス彫刻のみ鑑賞可能で、この待合室で流される映像は見れなかったはずである。
外のガラス彫刻だけでは、正直何がなんだかわからなかったと思う。
自分も中に入ってしっかり全部見てきた
映像作品、全体で5分もあっただろうか。
そんなに長くない映像作品であった。
長くはないが、かなり独特な世界観である。
外のものだけでは分かりづらいと書いたけど、映像見ても分かりづらいと思う人は、申し訳ない、少なくないと思う。
そういうときは勝手に解釈だ。
分かりづらいなら勝手に解釈する… 作品は完成すると作り手の手を離れるものなんだから、お金払ってみている以上、どう捉えようが観た人の自由である。
自分の勝手な解釈としては、使われなくなって忘れ去られていく廃駅の線路に記憶の糸(ワイヤー)を引いて現実を暮らす町の人達とを今でも繋ごうとしているように受け取れた。
「南黒丸駅をいまも忘れるなよ、そこにまだいるんだよ、たまには思い出して掃除くらいしてくれよ」と言っているようである。
「ちゃんとレールも使っているんだから」との声も聞こえてきそうだった
外のガラス彫刻、よく見るとこのようにその柱に線路のレールが使われていた。
捨てられていたレールも芸術作品として再利用され、この場所と地元住人とを再び結びつけようと頑張っているようである。
なんて殊勝なレールなんだか…
次第にこの鉄の塊が可愛く見えてきたよ。
感想
以上、サイモン・スターリング氏による「軌間」の写真だ。
廃駅の旅の時、やたらと待合室がキレイにされているなと思ったけど、そこで映像作品を流すのなら、そりゃキレイにしておかなきゃいけないだろう。
いまようやく納得した次第だ。
この作品、待合室のシアタールームは撤去されるとしても、屋外のものは上戸駅の「うつしみ」のようにずっと残るのだろうか?
待合室の中からモニターがなくなっても、今後も中はキレイにキープしておけよと、ガラス彫刻が残る限りどこからか聞こえてきそうである。