奥能登国際芸術祭2020+も昨日で閉幕してしまったが、鑑賞旅で目にした作品の紹介を続けたい。
第四日目その10だ。
今回は山本基さんの「記憶への回廊」を取り上げる。
三崎エリアの旧小泊保育所へ
前回までの蛸島エリアを出て、次に向かったのは三崎エリアだ。
三崎には3つの作品がある。
そのうちの一つ山本基さんの「記憶への回廊」は旧小泊保育所に展示されていた。
旧小泊保育所といえば2017のときにもOngoing Collectiveというユニットが「奥能登口伝資料館」という作品を展開していたところだ。
シュールな作品が展示されていて、さらには村にUFOを誘致するドラマ仕立ての映像作品なんかも上映していたからよく覚えている。
ということで4年ぶりに旧小泊保育所に
確かにここへ来た覚えがあって懐かしくなるけど、4年前のときは外側から見てももっとわちゃわちゃしていた印象があるので、本当に作品が展示されているのかと疑ってしまうくらい今回はとても静かに感じた。
窓から見えた室内の様子
外側はただの旧保育所だけど、内側はまた独特な世界観を作り出しているようで、すぐにここが展示場所であるとの確信を持てた。
12番 山本基「記憶への回廊」
12番だ
作者の山本基(やまもともとい)さんは、若くして亡くなられた奥さんや妹さんとの思い出を忘れないために長年「塩」を使ったインスタレーションを制作しているそうで、今作もその一つだ。
受付は玄関を入ってすぐのところにあり、そこから奥の方へと歩いていくと、次第に記憶の世界へと誘われるようなペイントが廊下に施されていた。
受付を済ませて振り替えるとすでにペイントが廊下に伸びている
青くなっている。
廊下のすべてがそうではないので、侵食を受けているような印象だ。
最初の部屋を覗いても…
線を引いたようにその半分しか青くなっていない
青地に白く迷路のような模様も描かれていて、さながら記憶のラビリンスに引き込まれていくかのようである。
青色は奥の部屋へと続いている
奥の部屋こそが記憶の世界なわけである。
廊下に沿った部屋は一部のみ青が侵食
記憶の世界への道筋を照らす光のような青は、部屋のすべてを青く染めているわけではない。
やはり光のような性質なのか、斜めに入って、光があたっていると思われる部分を線を引いたように青くしている。
ここから見るとわかりやすい
建物内を真っ暗にして斜めに照明の光をさすと、ちょうど青色に塗られた部分が明るくなって見えることになるのだろう。
記憶の世界への青い回廊は、光の道でもあるとも言えそうだ。
空調機まで
すごい侵食っぷりだ。
いえ、光の力のすごさだ。
光の回廊の先の世界
奥の部屋には何やら白い壁のようなもの置かれている。
しかも斜めに切られたような壁だ。
入ってみる
すべり台のようになった壁だ。
その白さからもわかるように「塩」でできている。
地面にも塩が敷き詰められて、塩の湖のようである。
壁が2箇所、砲弾でも打ち込まれたように破損しているところが気になる。
それらは故人を示しているのだろうかと、そんな思いも馳せてしまう。
その破損部から奥を覗き込む
すると、外からの柔らかい光が差しているのが目にできた。
やすらかな光ではなかろうか。
青く染まる
この、記憶の世界とも呼べる青色の空間は、色温度をかえて撮ると写真全体がさらに青くなる。
ためしに同じアングルで色温度を変えて撮ってみた
塩の白さまでも、この記憶の世界へと続く青い光に染められたように寒い色になる。
深海世界にこの空間ごと浸かったような風合いだ。
角度を変えて外の光を取り込んでも
やはり青い。
ここまで青くなると、ある意味で狂気のようでもある。
旧飯田駅の「小さい忘れもの美術館」の黄色にも比肩しそうだ。
この色温度のまま廊下へと戻ってみると…
廊下(回廊)がまどろむような青さをしていた
このような青さで撮れた。
ここまで染まると、写真だけではなく「記憶の世界」へ立ち入った自分の心まで、何かを持ってきたのか、これらの色に深く染まってしまっているかのように感じてしまった。
最初の部屋もこのとおりに
見え方が変わってきてしまっている。
写真の色温度を変えたのは自分であるが、結果的に意味深な何かを想像せずにはいられなかった。
感想
色温度を変えることで、この作品のイメージカラーとも呼べる「青」がより深いものになってしまった。
深くなりすぎて、重く鈍い感じになってしまってもいるので、この写真はあくまで自分個人の勝手な受け取り方であって、解釈であると思っていただきたい。
メイキング映像もある
You Tubeに上がっていた。
その映像を見る限り、冷たそうな青色の世界を創出しているのに、地元の人達の手を借りて、どこか温かみのあるものを作っていると受け取れた。
過去の記憶の世界へと続く「光の回廊」(これは自分の勝手な解釈)は、たしかに未来を照らしている光であるとも感じられたのだ。
(作者は過去だけではなく、未来にも繋がってほしいと願っているとのこと)
なお、使われている塩は10トン近くあるそうだ。
ナイスな(すごい)量だ。