莵橋神社に続き、同じく「お旅まつり」で知られる小松市の本折日吉神社にも参拝してきた。
相変わらず狛犬目的であったが、猿もいて狛狐もいて、狛犬も変わったものがいてと個人的にたいへん賑やかであったのでまとめて紹介したい。
お旅まつりで知られる本折日吉神社へ
小松市で毎年5月に行われる子供歌舞伎が有名な「お旅まつり」は莵橋神社と本折日吉神社の春季例大祭だ。
莵橋神社にも参拝してきたので、続けて本折日吉神社にも参拝してきた。
2社の距離はそんなに離れておらず、歩いていけるような距離だ。
まずは地図
地図でもすぐ北の方におすわさんこと莵橋神社が記されている。
一応、駐車所もあるので車で行くことも可能だ。
ただし、その際は裏から回るような形になる。
正面の鳥居はその駐車場からちょっと離れているのだ。
駐車した後に正面の大鳥居の前へ
ここを抜け、ずっと奥に拝殿や本殿がある。
この石鳥居を抜けた参道にも車が停まっているが、参道の駐車場は有料駐車場で契約者が停めているところなので参拝客が停めていいところではないようだ。
参道も通って赤い鳥居の前へ
赤い鳥居の額束に書かれているのは「山王宮」という文字だ。
おすわさんと呼ばれている莵橋神社に対し、ここ本折日吉神社は「山王さん」と呼ばれている。
もともとの社名が「山王宮」だったそうだ。
赤い鳥居をくぐるとすぐ手水舎
大体龍の像とかをこしらえてあるもので、こう装飾のない手水舎も珍しい。
と思ったら、もう少し進んだ先に龍の像の置かれた手水舎もあった。
仮手水舎とある
どっちで清めればいいのか一瞬迷ってしまう。しっかり見てみると、こちらの仮の方は水が出ていなかった。
本折日吉神社、なかなかややこしい神社だ
参道を歩いているだけでそんな印象を受けた。
どこまでが境内なのかその境界もわかりづらかったしね。
この写真でいうと左の方に参拝者駐車場も見えるけど、どこからその駐車場に車を入れるのか、自分なら迷いそうだと思った。
ちなみに写真の奥に見える社の裏の方にも駐車場があり、自分はそこに停めている。
ここ、それなりに広いのだ。
最初の狛犬をチェック
先程の写真でもちらりと見えていたように、拝殿の前に狛犬が一対いる。
狛犬写真家を自称しようかと目論む自分だ。まずはそちらから紹介したい。
いる
ご挨拶とばかりにいる。
ほんと、まずは挨拶とばかりに岡崎現代型のものがいた。
なにげに子持ち狛犬だ
同じく小松市にある安宅住吉神社でも子持ちの狛犬を見かけたが、このあたりの当時の流行りなのだろうか?
ちなみに台座には「昭和四十九年十二月」とあった。
自分が生まれる前なので現代型とはいえ新しいとは自分には思えない。
対の阿形
子持ちのタイプの定番通りちゃんと毬を持っている。
表情の猛々しさはオスと言われる阿形らしさがムンムンだ。
鼻や眼球、たてがみのクルクルの状態の良さを見ると、平成初期くらいに作られたもののような気がしてくる。
もはや古いのか新しいのかわからなくなる狛犬だ。
吽形の子供は若干劣化しているようでもあるが
ちょっと黒ずんでいるもののそれでもパーツの彫りはまだまだハッキリと残っている。
よく見てみると、この子供も鞠を持っている。雄になるのだろうか。
そんな想像を膨らませてくれる。
オス、さらに猛々しく撮る
下から撮ってみた。
結構高いところにいるので、こういうことも可能だ。
子供もこんな感じで成長するのかもとイメージしての一発だけど、顔にピントが合っていないので「より猛々しい」にはなってませんな。
狛狐もいる
最初の狛犬がいる拝殿へと進む途中、左手には「日吉稲荷社」もある。
そこに狛狐もいる。
赤い鳥居が並んでいるのですぐわかる
稲荷大明神と書かれた幟も何本も立っている。
これ、大神様の加護を祈る気持ちのしるしとして初穂料三千円をおさめると名前入りのものを立ててもらえるようだ。
こちらが拝殿
右下の方にカゴが見えると思うが、これはお稲荷さんの好物である油揚げをお供えするところだ。
本物の油揚げをお供えできるようなのだ。
自分、こういうの初めて目にしたと思う
そんな油揚げ大好きなお稲荷さんの狛狐が…
こちら
そしてこちら
かなり睨んでくる。
油揚げをくれない輩には用はないとばかりに、というか油揚げよこせとばかりに睨んでくる。
でも、その体はずんぐりむっくりとして、よく見られるスマートな狛狐とは違うので可愛くも見える。
なんだか、狐というより犬みたいな体型だ。
口に咥えているのは玉と
鉛筆…ではなく巻物
こうして咥えている顔だけを見ると、角度によってはジャガーみたいなネコ科の猛獣のようにも見えてくるから、ますますキツネっぽく見えてこない。
なかなか型にはめれない狛狐である。
神猿もいる
狛狐が型にはめれないだけではなく、この神社そのものもなかなか型にはめれない。
というのも、他ではあまり見られないものが境内にいる。
「もの」と記してしまったが、動物だ。いわゆる「神使(つかわしめ)」というやつだ。
稲荷社の狐、八幡社の鳩など神社によって定着しているものもあり、日吉社では猿がそうなんだとか。
この本折日吉神社にも稲荷社の狛狐のように、境内に猿の像が置かれているのだ。
それも一体ではない。
山王鳥居から拝殿へと向かってくる途中でも、実は狛犬よりもまず先に猿の像を目にしてしまっている。
はい、こちら
御幣(ごへい)を持った山王神猿だ。
自然と祖先の恩恵で生き、その出会いを大切にする姿が人の道。この山王神猿の像はそういった慰め助け合う気持ちを末永く持ちたいという願いの象徴なんだとか。
日吉神社で見かける神猿は魔去(まさる)と呼ばれるもの(「真猿」と呼ばれることも)で、文字通り一切の魔を拭うことを意味し(同時に「勝る」という意味も)、万福招来等を授ける神様の使いとして尊ばれているそうなのだ。
すぐ近くにはこんなのも
「見ざる言わざる聞かざる」だ。
悪いものは見ない、悪いことは言わない、聞かないというもので、裏返って良いものを見聞きし、良いことを実行すると言い誓うことを意味するようだ。
正義の象徴で、永遠の真理が秘められているようなのだ。
知らなかった。ずっと反抗期の象徴かと思ってた。
この本折日吉神社の神猿の像はほかにもまだまだいる。
「仮手水舎」と書かれた手水舎の屋根にもちょこんといたのだけど、先程の写真で気づいたであろうか?
また、拝殿のすぐ前にもいて、最初の狛犬の写真にも写り込んでいたりもした。
拝殿の前にいたのは猿田彦の神
「旅を守る神=旅行安全・交通安全」であったり、「夫婦和合の神=子授けの神」であったりするようでそれらの意味からか、拝殿前にはこちらと、もう一体いた。
子供を抱えてます
そもそも山王日吉大神様には魔除けの神様との信仰を集めているようだ。
鬼門除けや家内安全、交通安全、病気平癒、商売繁盛、学業成就、良縁、子授け、安産等、「祈り」の基になるものこそ魔を祓い除けることのようで、魔除けによってそれら願いが成就するということらしい。
神猿の像がこうして子供を抱えているのもちゃんとここの神様と通じるもののようである。
その斜め前にも母子猿
こちらの頭をなでると丈夫な赤ちゃんに恵まれるといわれているそうだ。
また、安産の神でもある。
猿って犬とともに分娩の軽き安産の神として昔から信仰されているみたいで、妊娠五ヶ月目の「戌の日」または「申の日」に妊娠を神様に奉告しにくるといいそうなんだね。
ちなみに境内には「子授け石」というものもある
子供が授かると昔から言い伝えがあるそうだ。
祈るといいらしい。自分はつい触ってしまったけれど。
なお、この子授け石の前方にある検知宮(農業の守護神がまつってあるところ)にも小さな猿を見つけた。
こちらが検知宮こと「下照比咩社」
この社の直ぐ側に…
いた
見逃しそうになったけど、気づいて良かったと思う。
このように、見落としそうなところをふくめて境内の色んな所に猿がいる。
もしかしたら他にもいるかも知れない。
もう「本折日吉神社=猿の像」のイメージが自分の頭の中でできてしまった。
古い狛犬もいた
神猿を探して境内を歩いていると、最初の狛犬以外にも何対か狛犬を発見した。
「本折日吉神社=猿の像」のイメージができてしまったけれど、ここは狛犬も古くて珍しいものがいくつもあったので、狛犬好きとしてはやはり載せずにはいられない。
まずは拝殿の前、猿田彦のすぐそばにいた一対から紹介したい。
位置的にはこんなところ
参道から拝殿に向かっていると、どうしても最初の狛犬ばかりが目についてしまうが、その後方、左右に開けてもう一対いたのだ。
それがまたいかつい顔をしている
霊気や妖気が立ち上っていそうなこの意匠。
迫力ある。
頭には角もあり、その手足も短いながら太めだ。
口を閉じた吽形なのに、怒りなどこみ上げるものがあるかのようだ。
いや、笑っているのかも
余裕の笑み?
高いところにいるので、どちらにしても下に見られている雰囲気がある。
離れたところに阿形
吽形と阿形の距離が離れているので一緒に一枚の写真に収めることもできなかった。
オスと言われる阿形のほうがどこか柔和に見えるのだからそれだけここの吽形(一般的にメスと言われる)がいかついということだろう。
安産祈願も出来るところだし、母強し、女強しというところだろうか。
背中が黒ずんで腕にもカビのような白いものもついているものの、爪の状態、体の渦(クルクル)なんかの状態はすこぶるよく、きれいに形を残している。
形から見て新しいものではないなとすぐにわかったが、台座を見てみると…
大正十年十月とあった
これはなかなか古い。時代が令和となった今では昭和初期のものも古いと思えるので、それでいてこれだけ状態が良いと貴重に思えてしかたない。
意匠も現代ではなかなか見ないものだしね。
でも、この神社にはさらに変わった形をした狛犬もいた。
日吉弁財天にはまた変わった狛犬がいる
境内には金運の神様である日吉弁財天を祀る社もある。
そこにいた狛犬がまた変わっていた。
そこがここ「市杵島社」
市杵島姫(いちきしまひめ)という女神って仏教の弁財天と習合しているんだよね。
鳥居の側には金運と芸能の神「弁財天」(弁天さまとも呼ばれている)の像も置かれている。
ついでにいうと弁財天の神使いは蛇だそうだ。
ということで左の方には白い蛇の像も置かれていた。
ていうか拝殿の前にリアル白蛇の抜け殻が…
平成21年11月に神域で発見されたものだそうだ。
白蛇って、その抜け殻だけでもすんごいご利益があるって話はよく聞く。
実物を見たの、自分はこれが初めてだ。
これもかなり貴重だ。
たっぷり拝んできた。
そんなレアな白蛇もいる弁財天の狛犬がこちらだ。
ドンッ
ドドンッ
正直、これらを目にした時「なんじゃこれは」と思った。
狛犬でいいんだろうかと、そう疑ったくらいだ。
逆さ狛犬は何度も見た、子連れも狛犬も見た、スタイリッシュなものも、ドラえもんの鈴のようなものをつけたものも目にしてきた。
でも、ここにいたのはそのどれとも違う。
吽形、阿形両方でこんな大きな玉を抱えているのは初めて目にした。
しかもその顔がまた江戸時代の鬼の絵みたいなものだからビビる。
すごい
ツラだ
現代ではまず作られないであろう意匠だ。
自分がイメージする狛犬の可愛さとはかなり離れたところに位置している狛犬だと思う。
ただ、これはこれで格好いい。
いつの時代のものなのか気になって台座を調べてみたものの、年代がわかるものは残っていなかった。
そうとう古いものなんじゃないかと想像するのだけど、はたしてどうだろうか。
背中に大きなキズ
刀で両断されたような大きなひび割れのようなものが背中にあった。
ただ、大きな損傷といったらこんなもので、爪も足も尻尾も形がつぶれず残っているので状態は良いと思う。
良いだけに、よけいにいつに作られたものなのか気になるものだった。
昭和より以前だと思われるがどうだろうか。
そうあってもらいたいと個人的には思う。
立ち入れないところにも古そうな狛犬
境内を歩いていると、拝殿後方の、おそらく本殿と思われるところなど、普通の参拝客が立ち入れない所もいくつかあった。
こんな感じで塀や柵で入れないところがある
入れないのだけど、そこにも狛犬がいたのが遠くながら見えたのでカメラで撮ってみた。
このように
場所でいうと拝殿の後ろの方にあたる。
中に入れないので遠くから撮っている。
尻を上げたタイプのものだ。
金沢など県内で同じようなものをいくつか見かけたが、どれも古いものであったと記憶している。
遠くながら、その劣化具合を見ても年季を感じる。
ほかにもこういうのもいた
大きな丸い鏡が置かれた社の前にいた一対だ。
やや頭が大きいものの、より犬らしい表情をした意匠のものだ。
遠くからでも可愛さが伝わるので近くで撮りたくなる。
入れないのがちょっと残念だ。
お祓いとかしてもらうとき入れてもらえるのだろうか?
まとめ&御朱印
一般人が普段入れないところにも狛犬がいたり、古いものや珍しい意匠のものもいたりして狛犬好きとしては興奮が続いたものである。
さらにはあちこちに神猿の像も置かれていて、それも分かりづらいところ置いてあったりするものだから「探してみろ」とウォーリーなみの挑発を受けているようでもあった。それがまた楽しい。
ついでにいうと馬の像もいる
白蛇の脱殻もあったし、狛狐もいたし、大変賑やかな神社であるというのが自分の印象だ。
もっというとこんなのも置かれていたし…
なんだよ、これ…
あの化物みたいな顔をした狛犬よりも衝撃的だったよ。
いろんな像が置かれている、ほんと愉快な神社だ。
そんな本折日吉神社でも、莵橋神社同様に御朱印をいただくことにした。
社務所があるのでそこでいただける。
お願いすると、社務所前の東屋のようなところでどうぞ待っていてくださいと言われた。
ここだ
中には灰皿も置かれていたので、境内で唯一タバコが吸えるところなのではないだろうか。自分は吸わないけど。
中には「願い串」も
願いごとを書いて、神前でご祈祷してもらえるやつだ。
東屋からの景色
狛犬をのんびり眺められるところが自分好み。
こうしてまったり待っていただいた御朱印が…
こちら(平成最後の4月に行ってます)
見ざる聞かざる言わざるの魔除三神猿が描かれているものだった。
やっぱり「本折日吉神社=猿の像」とのイメージは正しいようだ。
狛犬のことばかりしか頭になかった自分にとってはいい発見&愉快な発見であった。
神使(つかわしめ)についてもっと知りたくなったものである。
最後は記念に莵橋神社のものと
御朱印を並べていただけたことがちょっとうれしい。
こんなことをして、五月に行われる「お旅まつり」へ、今年も足を運ぼうと気持ちを高めていたのだった。