城が好きなので地元石川県の七尾城に行ってきた。
前回、七尾城史資料館に立ち寄って事前に同城の知識をインプットしたその続きだ。
散歩気分で本丸へと歩いていたら、トレッキングかと思えてきたその様子を伝えたい。
七尾城へ
前回紹介した七尾城史資料館から七尾城の本丸へと向かうには2つのコースがある。
一つは旧道である大手道を徒歩で、もう一つは県道城山線を車で向かうというものだ。
徒歩だと40分くらいかかり、車だと10分でいける。
2.4キロあるらしい
どうせなら徒歩コースを選んでみたかったが、長い距離を歩くには普通すぎる格好をしていたのと、時間的な都合から自分は車を使うことにした。
改めて地図
県道177号を登っていくとよい。
途中こんな看板を目にする
県道を少し登ったところで目にした看板だが、これによるとまだ3.6キロメートルの距離がある。
徒歩と比べると、車を使ったコースのほうが長い。
峠道みたいな道をさらに登っていくとそのうち駐車場にたどりつく。
駐車場にあまり見えない駐車場
駐車スペースの線が引いてあるわけでもないので一瞬、そこに停めていいのか迷ってしまう。
すぐ目の前にはベンチもあるし、その奥には早くも良い景観と対峙できる。
前回紹介した懐古館の管理人の方が言うには、七尾城の本丸に上がると七尾湾を一望できるそうなのだが、早くも見れたと思った。
ただまだ全部見える、とは言えないかも
山が壁となって見渡すとまではいけてない。
もっと良い景観は本丸まで行かなければならないということだ。
目標がここで一つできた。
二代 畠山義忠公の歌碑もあった
野も山も雲の中にうづもるといった事が書かれてあるので、それくらい高いところから町や湾を見下ろせるということになろう。
山城を登る
「これより本丸跡に至る」
駐車場の脇にこの案内があり、遊歩道ようなところへ入っていくことになる。
数年前に紹介した宝達志水町のモーゼパークのように獣が出そうな雰囲気があるので、自分、ちょっと身構えてしまった。
(過去のモーゼパークの記事は→こちら)
こんな道を歩いていく
ウッドチップが敷き詰められていたので、いい匂いがする。
木に囲まれているし、マイナスイオンも出ていそうで、散歩をするにはとてもいいところに思えた。
すぐ石垣が見えてくる
この城壁のような石垣を目にして、このときはなんだかかっこいいと思えた。
このあたりの案内看板
これを見ると本丸までは歩いて3分のところにある。
かなり余裕だなと、そう思えた。
でも、そんなふうに思えたのはその時だけで、決してゆうゆうとお気楽に散歩ができるようなコースでないことをすぐに思い知る。
石垣を前にするとなんだかいかつい
実際にこの石垣の近くまで来てみると壁のように感じた。
高いのだ。
石段も写真に写る最初の方はまだ上っていて苦にならない高さなのだけど、すぐに勾配がきつくなってくる。
石段を見上げてしまう
結構急なうえに一段一段が高い。
気楽に散歩なんて気分は一気に吹き飛んでしまう。
山の修行場に向かっているようなそんな気分になってきた。
上りながら撮るとこんなですよ
「上る」じゃなくて「登る」がふさわしいのではなかろうか。
散歩じゃなくてトレッキングじゃなかろうか。
そんなふうに思えてきたのだった。
そこを登った先の分かれ道
左に曲がれば80メートルでもう本丸だ。
登るのきついから、さっさと左に曲がって本丸からの景色を拝んでみたら楽もできるだろう。
でも、先程の案内板を見たときから先に二の丸、三の丸の方に向かおうと決めていたので、自分はこのとき右に曲がった。
楽しみはあとにとっておきたいタイプなのである。
それでもその性格を、後になってちょっと後悔することにもなる。
先に二の丸と三の丸へ
分岐点を右に曲がるとすぐ「桜馬場後」
こういう案内板をすぐ目にできたものだから、先に一個ずつクリアして行きたくなったりもしたんですよね。
ちなみにその先はこんな道
ウッドチップも敷かれていないし、現代の道に思えなかった。
なんだろうか戦国時代の時代劇なんかで忍者なんかが通っていく道に見えてきたのだった。
獣も出そうだし。
さらに分岐点あらわる
城主畠山氏を補佐する八臣(四臣四家)の一人である温井(ぬくい)氏の屋敷跡の前に分岐点があった。
右に曲がれば二の丸、左に曲がれば「九尺石」とある。
九尺石とはなんぞやとなると、先にそっちの方を見に行きたくなるのが、楽しみは後にとっておくタイプの悪い癖だと思う。
ということで先に左に曲がってしまった
九尺石なるものまでそんなに離れていないのですぐにたどり着けた。
案内板によると城の鎮護の要石のようで、その大きさから九尺石というらしい。
守護や鎮護の象徴としてあえて見えるところに置いてあったという説もあるみたいだ。
平成29年の豪雨では九尺石の石垣の西側が崩落したそうで、石垣に影響が出る前に災害復旧工事を実施したそうだ。
このように雨で崩れそうになることがしばしばあるという。
すんごく、のほほんとしている石に見えたが…
むかしはよく人々から見られていた石なんだろうけど、いまでは隠居して静かに余生を過ごしているように見えたのは自分だけだろうか。
それくらい、このあたりが一番のんびりした空気が流れているように感じた。
戻って二の丸へ
分岐点へと戻って右に折れるとこのような道に出てすぐに階段が見えてくる。
その階段を上ったところが二の丸跡だ。
広場だ
ベンチなんかも置かれていて、小さな公園のような趣がある。
そこが二の丸跡である印
曲輪というのは土塁や石垣なんかで区画されたところのことだ。
要するにこの広場みたいなところだ。
尾根の分岐点に築かれているという点が山城らしさが出ている。
CGで再現した図も貼ってあった
前回紹介した資料館内で目にしたビデオのやつだ。
現地にその写真が置かれているとイメージしやすい。
さらに三の丸への案内
二の丸の奥にさらに階段があり、そこを降りていくと三の丸へと行けるとある。
その距離は約100メートル。
学校のグラウンドの端から端くらいか、だったらまだ余裕だな、なんてことをここでも考えてしまったのだけど、その考えは甘かった。
階段がかなり急
おまけに狭い。
手すりの先は軽く崖みたいになっているし…
その柵も腐敗している箇所があるみたいだし
二の丸くらいまでは自分と同じようにこの城跡へと観光、または散歩に来ている人が十人以上見かけられたのだけど、この三の丸へと続く道に入るとほぼ誰もいなかった。
どう見ても山道だし
また急な階段が現れるし
自分はこの日、ジーンズにジャケット、靴もスニーカーという普通の格好をしていたのだけど、トレッキング用や、ジャージのような動きやすい服装で来ればよかったと思った。
この階段を降りたところで、ようやく二人組の人とすれ違った。その人達はちょっとした山を登るような動きやすい格好をしていた。
普通の格好をしていた自分が、この七尾城跡をなめているような、そんな罪悪感がわいてきた。
その罪悪感のせいか、その二人組とすれ違ってまた人の姿が自分以外になくなってくると急に心細くなり、クマやイノシシが出るんじゃないかと、そんな心配をしてしまうのだった。
まあ要するにちょっと恐ろしくなってきたのだった。
途中、こんな案内もある
「大堀切」とある。勉強になるなぁと思いながらもじっくり読んでいる余裕は、なかった。
二の丸と三の丸を人工的に分断して敵の進行を防いだとあるけど、自分ひとりが阻まれている気がするし、自分ひとりが人間社会と分断されていくような怖さがちょっとあった。
三の丸までまだ50メートル
50メートルが異常に長く感じた。
道もうねっているし
上っているのか降りているのかよくわからない道で、どっちにしたって疲れる道だ。
獣に出会いたくないから早足で進んでいたこともあって、このときだけで結構に汗をかいてしまっていた。
やっと着いたかな
こんなふうに見上げる先にあった。二の丸から三の丸へのアップダウンっぷりが伝われば嬉しい。
三の丸跡だ
汗をかいてようやくたどり着いた。
長い100メートルだった。
そこに何があるかといえば…
もちろん広場(曲輪)だ
この潔いくらい何もない感じ…
ここでキャッチボールができそうではないか。
実際やったら、怒られるかもしれないけど。
それでもなかなかの達成感があった。
ただ、案内板にはまだ指し示すものがある。
安寧寺跡だ
さらに190メートル進むとあるらしい。
二の丸から三の丸への距離の約倍だ。
覗き込んでみるとさらに山の深部へと入っていくような道
今度こそ獣が出そうな、そんな不安が膨らんだ。
これまでの道のりでもすんごく汗をかいたし、さすがにもうこれ以上は難しいかもと思えてきた。
でもちょっと降りてみる
自分は天の邪鬼なところもあるので、危ないかもと思うと逆に足を踏み入れたくなる。
まあそれでも体力的にも、また時間的にもきつくなってきたので、今回、安寧寺跡へと向かうのは諦めることにしましたが。
ちなみにいま降りてきたところを下から見上げるとこんな感じ
まるで壁。
降りてもきつかったけど、これを登るのはもっときつかった。
階段状になっているけど、山登りかと思えてくるくらいだった。
本丸へ
三の丸へと向かった道をふたたび戻って本丸へ行くことにした。
アップダウンの道は行きも大変なら戻りも大変で、やっぱりそこでもまた汗をかいた。
おまけに昼飯を食べていなかったので疲れも出てきていた。
これで安寧寺跡まで行っていたらどうなっていたか…と考えると途中で引き返して良かったと思う。
それにしても散歩気分だなんて、自分もたいそう七尾城をなめていたと思う。
山城を侮っていたと思う。
というか自分、こういう山城を歩いたのって初めてかもしれない。
山城ってすげぇな。
そんな事を考えているうちに…
最初の分岐点に
戻ってきた。
このときの自分は『もののけ姫』の乙事主さまの「戻ってきた!」並みに気持ちが高ぶっていたと思う(場面は全然違いますが)。
ってか、本当にイノシシが出るんだね
この七尾城、イノシシによる掘削が頻発しているみたい。
イコール、普通にイノシシがいるよということだ。
アテの枝葉を敷いてイノシシの掘削対策にならないか実験中らしい。
その看板近くに遊佐屋敷跡
遊佐家といったら、上杉謙信が七尾城を攻略した際に調略された人だ。
遊佐家の内通(裏切り)によって七尾城が落ちたという話だ。
遊佐屋敷跡の側には本丸への階段がある
本丸がもうすぐそこなので、そんな近くの人が内通していたらと考えると、そりゃ城主もたまったものではないだろうと思いを馳せてしまう。
これも歴史の風だ。
ちなみに本丸への階段もこんなに急
ここを上がったらもう本丸なんだけど、最後まで傾斜がきつい。
むかし攻めていく時、絶対大変だったろうなと思った。
このきつさだけで、たしかに名城だと認めたくなる。
登った先の案内板
確かに「本丸跡」とある。
これを目にしてどれだけ安堵したことか。
実はまだ続きがあります、さらに登る必要がありますなんてことだったらこっちこそたまったものではなかっただろう。
石碑があった
登った先の広場(曲輪)は開けていて、その端に七尾城跡と彫られた縦長の大きな石碑がたっていた。
二の丸や三の丸とはやはり違う。
そしてこれが本丸からの眺望
懐古館の管理人の方がおすすめしてくれた、上杉謙信が城を攻略した後に絶賛した景観だ。
ズーム
七尾の町、七尾の海を山から見渡せる。
きつい階段を登ってきた後だけに現代人の自分でも感動した。
ベンチもあるし、しばらく風を感じながら体を休めつつ眺めていたくなった。
なお、この本丸には自分を引きつけるものが他にもあった。
この眺望とは反対方向へと振り返ると…
神社もあったのだ
祠のような小さなものだが、「城山神社」という神社だ。
こちらがその社
見ると両脇に狛犬の姿もあった。
まさかこんなところで狛犬を拝めるとは、狛犬写真家を自称しようかと目論む狛犬好きとしてはたまらんものがあった。
賽銭箱がない
そのため皆さん賽銭は直置きだ。
自分もそれに倣ってお金をおいて参拝してきた。
もちろん狛犬も
チェック
こぶりだけどいかつい顔をした狛犬たちだ。
吽形の方は顔がちょっと崩れている。これがまた迫力がある。
青白いカビのようなもののほかに、足元あたりから赤いカビか錆のようなものも付着させている。こういうのも珍しい。
湾も近いし、潮風が影響しているのだろうか?
いつ奉納されたものなのかちょっとわからなかったけれど、年季を感じさせるものだ。
背中からも年季を感じさせる
小さくて可愛くもありながら、背中の傷で訴えてくるものもある。
その先で何を見つめているのだろうと思ってしまうけれど、いや、それはやはり七尾の町であり、海であろう。
神社からの景色
個人的には狛犬目線のこの景色が一番好みだったりする。
ベンチのところよりさらに高いし、さらにいい眺めだ。
ここまで登ってきて本当に良かったと思った。
感想
以上、七尾城を登った先に目にした風景だ。
タイトルは「歩く」としてあるけど、どう考えてもトレッキングだろうと、いまこうして振り返っても思う。
実際に七尾城跡でトレッキングのイベントが有るようなのだから、そう思うのも間違いではないだろう。
山だし獣も出そうだし、大変は大変だけど、登った先の本丸で目にした光景は、苦労しただけに感動もひとしおであった。
山城の奥深さというか、七尾城の実力というか、いい意味で最初の期待を裏切られた心地である。
名城100選に数えられるのも納得な気がした。
こんな名城が県内にありながら今まで行ったこともなく、その歴史も凄さもよくわかっていなかったことが県民としてちょっと恥ずかしくなった。
いい勉強になり、いい散歩(と言う名のトレッキング)であった。
なお、前回記さなかったが、七尾城史資料館では館にやってきた記念として、「御城印」なる御朱印のようなものを配布してもらえる。
自分も七尾城に向かう前にその資料館にて手に入れたのだが、ちゃんと七尾城跡にも行ってきた記念として、今回の記事の最後で紹介したいと思う。
そちらがこれ
御朱印帳に書いてもらうものではなく、書かれてある紙をいただくタイプのものだ。
一枚300円。
本丸には神社もあったし、狛犬もいたし、こうして御朱印の代わりもいただけたしで、すごく満足している。
安寧寺には行けなかったことが少し心残りだけど、そこはまたこの城跡に再び足を運んだ際に改めて行ってきたいものである。
その際は、服装には気をつけようと思う。動きやすい服装が絶対いい。
ちょっときつめの運動をしたいという方は七尾城跡に歩いて(登って)みてはいかがだろうか。