金沢21世紀美術館で行われている「The World : From The OKETA COLLECTION 世界は今:アートとつながる」では撮影可能な作品がいくつもある。
その写真の羅列を記事にした前回の続きだ。
- 立体作品を撮る
- 気になって色んな角度から撮ってしまった作品1
- 気になって色んな角度から撮ってしまった作品2
- 気になって色んな角度から撮ってしまった作品3
- 最後にTIME誌の表紙を飾れる気分になれるアート
立体作品を撮る
前回の前編では絵画作品ばかりを取り上げていたが、この展示会では彫刻や陶芸といった立体作品も展示されていた。
この後編ではそれら立体作品を中心に写真をまとめたいと思う。
前回の続き
こちらは撮影できないものであるが、ちょっとだけ写っているこのでっかい美少女の人形のように立体作品もいくつかある。
立体作品となると色んな角度から撮れるので、その分写真の数も多くなり、こうして後編として別記事にまとめることにした。
色んな角度から撮れる分、自分自身があちこち動くことにもなり、そうした動きがまた撮っていて心地よかったりもしたことを先に伝えておきたい。
では早速、以下に並べたい。
シュテファン・バルケンホール「Mann auf Stufe(階段の上の男)」
こちらはドイツの彫刻家の作品。
仏像と同じように一本の木材からノミで人物を彫り出す手法を用いているんだとか。
それもあえて粗めに彫っているのがこの人らしさとのこと。
とはいえズボンのシワとか靴とか結構細かく彫ってあるなと感心した。
なによりこのポージングが無駄にカッコよくて好み。
そこから何を眺め、何を考えているのか勝手に想像するのが楽しい。
水平線に沈む夕日を眺めながら「今夜は卵乗せカレーが食いたいな」と考えていそうな気がしてならない。
ウーゴ・ロンディノーネ「blue pink mountain」
派手だ。
作者のロンディノーネはスイス生まれで、現在ニューヨークに拠点をおいているアーティストとのこと。
素材も多様ならインスタレーションのように表現方法も多彩、そして色使いも多彩な方のようで、この漬物石くらいの石だけでもその個性がよくうかがえる。
ピンクパンサーの技法のように現実世界にはありえないであろう色だが、それだけに夢が詰まっている。
子供の頃の色使いって、これくらい大胆で、直情的だったと思う。
それでいてこの配色から男女のようにも見える。
男が下で女が上…フェミニズム的ななにかも感じ取ったのは自分だけだろうか?
桑田卓郎「茶垸」
難しい漢字だけどタイトルはこう書いて「ちゃわん」と読む。
桑田さんは美術大学で陶芸を専攻し、広島の陶芸家、財満進(ざいますすむ)に師事したそうだ。
伝統的な作陶技術を追求しつつも、学生時代に親しんだストリートダンスやクラブカルチャーのセンスも取り込むようになったようで、このようなド派手な茶碗になっている。
他にピンク以外の色のものもあった。
それにしてもチョコレートを絡めたようなこの金色の使い方は、豊臣秀吉もビックリだろう。
飲むとき邪魔にならないだろうかと機能面で心配になるけど、そんな実用性など知ったこっちゃないといった奔放な魂も感じてしまう。
ダニエル・アーシャム「Pyrite Eroded Rabbit」
アーシャムはアメリカのオハイオ州生まれで、生まれながらにして色覚異常を持つアーティストとのこと。
「フィクションとしての考古学」をコンセプトに彫刻や立体作品、インスタレーションなどの様々なジャンルで表現しているそうだ。
色覚異常のためその作品は白と黒が基調となっているようで、石灰や火山灰などを使ってキャラクターグッズなど慣れ親しまれたモチーフを出土品のように作り変えてしまうのが作品の特徴だそうだ。
この作品もロジャーラビットみたいなウサギが地底人の呪いで岩化生物に生まれ変わったみたいになっている。
アップで見るとエグい
ゾンビみたいに顔や胴体の肉がただれ落ちて骨が見えているかのような意匠だ。
愛嬌があるのに痛々しい。どのような理由でそうなったのか想像力が走ってしまう。
殴られたのか、戦争なのか、怨念による肉体の腐食なのか、いずれにしてももともとのキャラクターのイメージをダークに、またはユニークに壊してくれるのでちょっと笑ってしまう。
作り手の心の闇のようでもあるが、その闇すらも楽しめてしまうようである。
気になって色んな角度から撮ってしまった作品1
絵画では一枚の絵を正面から撮ればその情報をほとんど伝えられたけれど、立体作品となると色んな角度から見え方も変わってきたりする。
今回の展示作品の中にもそういった作品がいくつかあった。
その手の立体作品は細部が気になるし、結果としてパシャパシャと撮ってしまっていた。
以下、そう思えた作品を3点ほど個別に紹介したい。
空山基「Sexy Robot_life size seating model_B」
もともとは写真そのままのような絵を描くイラストレーターとして広告業に携わっていた方で、1978年から「セクシーロボット」シリーズと呼ばれる立体作品も制作するようになったのだそうだ。
こちらもそのシリーズの一つだろう。
アルミボディのロボットな外見ながら、ふくらはぎからお尻にかけての曲線が女体の柔らかさを想起させてエロティックだ。
とても鉱物な感じがしない
揉めば弾力ありそうなこのお尻。
ちょっとした肉のボリューム感とか、女の人の脂肪の付き方とかよく観察しているなぁと感心してしまう。
曲線の滑らかさで無機質なものを有機質なもののように見せれる技術に脱帽だ。
胸の膨らみも
ジャケットを着ている意匠だし、ちょっと距離もあって近くでは見れなかったものの、胸の膨らみも、またその下の下っ腹の肉付きも、曲線から柔らかさを感じられる。
細身なモデルながらガリガリではない適度な肉付きに男としてはそそるものがあるわけだ。
この角度も艶めかしい
氷の微笑みたいだ。
実際、その顔は微笑を浮かべていたりする。
顔はロボットだけど
頭はツルツルだし顔にはバイザーなようなものがあって目元は見えず、近未来のマシーンの印象しかないが、その口元を見ると柔らかく微笑んでいたりする。
ギャップもずるい。
ロボットなのに男のツボを心得ているなぁと、なんだか口惜しくなってきたりもするのだ。
足の指先はスパッとした切断面のよう
こういう無機質なところも細部に残していたりする。
足先や手の指先まで曲線美で見せて、女体の柔らかさに近づけていたら、それはそれで恐ろしい気もしたので、こうしてロボットなところを顔以外の肢体にも残しておいてくれるとアートとして楽しめるものである。
まあ何にせよ、タイトル通りセクシーで、人を、特に男を惹きつけるロボットだなと心より思った。
気になって色んな角度から撮ってしまった作品2
ルビー・ネリ「Woman in Leadership Position」
こちらはあからさまに卑猥な作品。
Googleのクローラーにペナルティと認定されないかと思えてこの作品の写真を上げようか迷ったけれど、卑猥ではない、アートだということでアップ。
まあ、今回の記事を前編と後編に分けてよかったなとは思うけど。
作者のルビー・ネリはサンフランシスコのストリートアートシーン「ミッションスクール」のメンバーとなって、壁に絵を描いていたそうだ。
その後、絵画から立体作品に転向して、セラミック(陶芸)を基調とした作品を制作しているとのこと。
どうやら女の人で、こういう性的な表現のものを多く作っているみたい。
解説にはフェミニズム的、社会批評的な視点が感じ取れる作品であると書かれてあったが、タイトルの「Leadership Position」がユニークだ。
リーダー的地位に立っているのが一番大きな女の人だろうけど、それらを支える人たちもみんな女性。しかも全員スッポンポン(足の形からハイヒールのブーツは履いているかもしれいないが)。
かなり社会を馬鹿にしているような感じがして笑ってしまう。
側面はこうなっている
ここからでもわかるように、表と裏で同じように大きな女の人が小さな女の人達に支えられている姿がそれぞれにある。
ということでリーダー的地位にある人が二人いるということになるのだけど、どう解釈すればいいのか難しいところだ。
表も裏も表情やポージングや真っ裸なところもほぼ一緒だからだ。
そんなものでただひたすらやはり社会を皮肉っているようで笑ってしまう。
てっぺん中央には穴
陶芸作品らしく器(大きな壺)のように口が開いている。
大きな作品であるのでドラム缶風呂ほどのスペースがある。
でもこの作風だけに一度入ったら食虫植物のように出られなくなるんじゃなかろうかと思えてくる。
反対側の側面にはこんなハート型の穴も
これまた男を誘うような穴だ。
全部吸いつくされそうな気がするので指の一本でも挿れられないですな、これは。
どこから撮っても卑猥なものだからいろいろ心配になるけど、改めて言いたい、これもアートであると。
ちなみに自分が撮影していた頃にいた他のお客さん(自分よりも一回りは年上であろう女の人達)は「こういう作品大好き」と声にして言っていた。
いやぁ…おそろしい。
気になって色んな角度から撮ってしまった作品3
名和晃平「PixCell-Deer#48」
タイトルの「PixCell」というのは画素という意味の「Pixel」と細胞や器という意味を持つ「Cell」をあわせた概念だそうで作者の名和さんはこれを基軸に作品を制作しているとのこと。
この鹿の形をした作品もそのシリーズだそうで、代表作とも言えるらしい。
自分としてはこの展示会の中でこの作品に一番注目した。
最初見たときは水晶みたいなガラスの球体で鹿の形を作っているだけなのかと思ったけど、こちら、下地は本物の鹿の剥製のようなのだ。
本物の剥製に大小無数のガラス玉でコーディングしているような格好だ。
近づいていみると鹿の毛が見える
このように拡大されたかのように剥製部分が見える。
ガラス玉の大きさがそれぞれ違うので、一つ一つで見え方も見えるものも変わってくるから撮りがいもある。
こちら、お顔
目の辺りの大きめのガラス玉の中が光の都合でパールのような反射をしている。
角度によって、また距離によっても表情が変わってくる。
ちょっと引いた図
角まで入れた顔の図だ。
同じ目のあたりのガラスビーズが先程とはまた違う見え方をしているのがわかるかと思う。
それにしても角の先までガラス玉に覆われているんだね。
足元を見れば全身爪の先まで覆われているんだからその徹底ぶりがクールだ。
大きいものだと人や絵画も映る
ガラス玉から絵画を鑑賞する人を覗ける。
人の営みを撮りたい自分としては面白いギミックのようで、観ているこちらも参加できるようなこういうところに惹かれてしまったのだった。
ちなみに新聞社の人もこの作品の前で撮っていた
余談だが、自分が足を運んだその日、地元新聞社の人たちも取材に来ていて、鑑賞客に声をかけ、この作品の前に集まってもらって紙面用の写真を撮っていた。
自分は声をかけられないよう逃げた(カメラを抱えていたので声をかけられないと思うが)が、この情景も人の営みであるということで「作品の前に集い鑑賞するお客さんを撮るカメラマン」も撮影してしまった。
自分にはこれもアートだと思う。
最後にTIME誌の表紙を飾れる気分になれるアート
マンゴ・トムソン「November 14,2016(The End is Near)」
展示会場の一番最後、出口のそばに置かれているのがこの作品。
日常認識しているものを問い直す、認識の逆転がトムソンの作品における主要テーマとのことで、普段は読む側の『TIME』誌の表紙に自分が載っているかのような感覚を味わえる様になっている。
ここに立って撮ると丁度いいようだ
足跡マークに立って鏡に向かって立てばそれだけで表紙を飾れたような気分になれるわけだ。
ここでスマホをかざして撮影している人が多かった。
というか、この展示会もここでの撮影をむしろ推奨していた。
「表紙を飾ろう」とのこと
このように撮影したものにハッシュタグをつけてSNSへ投稿することを呼びかけているくらい。
この作品はバンバン撮影してOKだということだ。
なるほど「世界は今:アートとつながる」という展示会のタイトルの意味がよくわかった。
ということで自分も撮影
顔はちゃんと隠れているはずだ…
世界初のニュース誌である『TIME』の表紙を飾っている人っていうのは相当な成功者でそれだけでステータスってものだけに、まあ自分とはまず無縁であろうから、なんだか楽しかった。
この作品こそ正真正銘、観ている側も参加できる作品だ。
こうして自分も撮りましたと発信でき、繋がっている感覚をも味わえるのだから素敵な作品であり企画だと思う。
美術館好きとしては、このコロナ禍の中、美術館も元気であってもらいたいし、21美の「The World : From The OKETA COLLECTION 世界は今:アートとつながる」、観に来てよかったと心より思う。