奥能登国際芸術祭2023でも木ノ浦海岸に作品が置かれていた。
2023ではリチャード・ディーコンさんの「Infinity 41.42.43」という作品が展示されていたが、なかなか難解だった。
久しぶりの木ノ浦海岸
珠洲市の外浦の海岸の中では一番美しいと言われる木ノ浦海岸に、奥能登国際芸術祭2023でも作品が展示されている。
ここは、前回の2020+で自分が最後に訪れた場所であったので、二年前と時空で繋がっているような感覚がある。
到着
そうだ、こんな景色だ。
2020+のときの作品が想像力を掻き立て、そのセルフな十人十色のイメージに任せるような作品であったので、自分などはこの海岸から、未来の芸術祭を運ぶ船のようなものがやってくるビジョンを描いたものである。
そうして大地震に見舞われながらも2023もこうして開催され、自分自身この地に戻ってきたんだから、その勝手な想像もあながち間違っていなかったと振り返るとともに、二年前の過去から地続きのように現在があるとの感覚も芽生えたのだった。
そんな場所だけに、今回はどのような作品が展開されているのか芸術祭が始まる前から気になっていたのだが、公式ガイドブックを読む限り2023も前回の2020+のとき同様に、少々難解な作品が展示されているようだった。
その作品は写真奥に置かれていた。
矢印発見
このあたりは木の浦海域公園と言うんだけど、その奥側に展示されているようだ。
2020+のときは挟んで湾を大きく移動して見るような大掛かりなものだったが、遠くから他の鑑賞客の動きを見ている限り奥の広場のみで展開されているようである。
11番 リチャード・ディーコン「Infinity 41.42.43」
11だ
イギリスの作家であるリチャード・ディーコンさんの「Infinity 41.42.43」という作品だ。
リチャードさん、<Infinity>シリーズを2001年から展開しているようで、今回はその41番めから43番めの作品なんだとか。
<Infinity>とはどんなものかというと、「45度の角度で空からの光を集めて反射する送受信機のような彫刻」とのことだそうで、この説明書きを読んでいるだけで、セルフなイメージに頼る作品の気配がしてきた。
というかこの小石はなんだろう?
誰かが気まぐれに置いたものだと思うけど、これが置かれた真理をいきなり空想してしまうのだから、作品領域に立ち入る前から難解だ。
なお、この写真の石を中心に、右、左、奥に見える金属の彫刻が<Infinity>だ。
ガイドブックによると右が「41」、奥のものが「42」、左が「43」のようである。
ピントが合っていないので少々わかりづらいが、それらはどれも45度の角度で空を向いている。
近づいてみよう
こちらが海側にある「41」だ。
その面は、三つ葉のクローバーが重なったような、アメーバのような、何体もいるムンクの「叫び」のような、そんなプレートが6枚重なってできている。
正確に構成を言うと、三穴のものが3つ、二穴のものが3つだ。
こちらは岩を背後にしている「42」だ
45度で空を向いているのは同じで、6枚のプレートで構成されているのも同じだが、こちらは四つ葉のクローバーのような形をしている。
その構成は四穴が3枚、二穴が3枚だ。
そして塀の前にあるのが「43」だ
こちらも同じ45度で空を向き、プレート6枚で構成されているが、三つ葉と四つ葉だけだ。
三穴が3枚、四穴が3枚だ。
<Infinity>の数字が増えるほど、面の穴の合計が増えている。
ご覧のように、物質的な側面でのみ鑑賞すると、この作品は以上となる。
微妙に形の違う反射板のようなものが3基、置かれているだけである。
それら3基から何を読み取り、何を感じ取るか、そういった物質的側面を超えた鑑賞は、鑑賞者各々に委ねられるのだろう。
この感覚は、二年前の2020+のときに展示されていた作品に対して抱いたものと同じだ。
やはり続いていたのだ、時空を超えて。
それに気づけて、自分としてはニヤニヤが止まらなかった。
どう解釈するか、何をイメージするかは十人十色、自分の勝手ということなら自分としても得意分野だ。
とりあえず42の穴から41を覗き込んでやろう
空からの光を45度の角度で集め反射しているなら、その反射された光がどこに向かっているのか気になった。
41からの反射光がこの42に向かってはしないだろうかと、そんなことを考えてしまったのだ。
実際こうして穴から撮ってみると、少々眩しい気もしたので、反射した光がこちら側に向かっている可能性も否定できなくもない。
同じように43の穴から41を覗き込む
こうして見ると、41のプレートがキラキラして見えるので、こちらの43の方向にも光が反射しているのだろうかと、そんな想像もできた。
そうなると3基で光を使って交信している様も想像できる。
では何を伝えあっているのか、次にはそんなところにも想像力が流れていくわけだが、光の元を追っていくと、それも見えてくるような気もしてくる。
光の元、そんなものは太陽に決まっているじゃないかと断定してしまえばそれまでになってしまうが、それ以外の「光の元」を探そうとするのが、なんだろうか、ロマンのようにも感じ始めてしまうから、作者の手のひらの上ですっかり踊らされているような気もしないでもない。
3基が向いている先の、その線上に3つの線が重なる接点がなかろうか?
三角形でいうと「重心」みたいなところだ。
ただ、ガイドブックを見ると、この3基が向いている方角って、正確にはどれとも重ならない「ねじれの位置」みたいな関係になっているので「重心」を探すことは実際には不可能なことなのかもしれない。
むしろ「ねじれの位置」の三本の辺で空中にできた三角形をイメージしてみるほうが、この場合、現実的なのかとも思ってしまう。
イメージの中で現実を求めてしまうこと自体、非現実的なのに、そんなことをトライしてしまうから、それもまたロマンに突き動かされているのだろう。
ということで、空中を撮影
このあたりに、そのねじれの位置の辺で構成された架空の三角形があるんじゃないかとカメラを向けて撮った空中が…
これだ。
そこには、青い空と白い雲が写っていたよ…
感想
リチャード・ディーコンさんの「Infinity 41.42.43」を、物質的な側面でのみ捉えることに満足しきれず、色んな角度から空想を膨らませて、数学の領域に飛び込んだら、自分自身でも訳の分からない領域に入り込んできたので、読んでいる方はもっとわからないことになっているかと思う。
やはり難解だ。
自分のような一般人でもこれなのだから、これが数学者や数字や図形に強い人が想像力を膨らませたら、いったいどんな領域の話になっていくのか、恐ろしくもある。でも、それはそれで一鑑賞者として楽しみにも思えた。
ふぅ、想像し過ぎて頭が疲れてしまったが、これはこれで心地よかったりもするから不思議なものだ。
シンプルに海と撮っているだけでも楽しめます
難しいことを考えるの面倒くさいという方は、こうして風景画のような写真を撮っているだけでも良い作品だ。
何度もいうが、作品の楽しみ方なんて十人十色だ。
こうして風景画のように撮っているだけで、また何か(数学的なもの以外)が見えてきたりもするんだから、作品とは面白いものである。